ツイッタラーの弁明

Liaroの窓際戸締役です。特にソクラテスは好きではありません。

将来起業を考えている高校生になにをしたらいいか相談されたときに答えたこと

将来起業を考えている高校生に、今なにをすべきかを相談されて答えたときのメモです。

せっかくなので、残しておこうと。

 

答え

事業ドメインは関係なくとにかく起業したい/経営したいというのであれば、わざわざ大学行く必要もないんじゃないでしょうか。
反直感的ですが、スタートアップのコツを学ぶのに一番効率的な方法はスタートアップをやることだと思います。
一方で、事業ドメインや事業の指向性がある場合は大学行くのも1つの手段だとは思います。例えば僕は起業も考えていましたが、基本的には知識欲が強い人間で人工知能系(最初はProlog)の勉強をしたのも知識欲のためです。なので、AIの力でまだ人間が到達していない知の宇宙を見るというのが一番にあって、資本主義社会においてはその手段が起業だったということです。
なので、もし高度なテクノロジーで事業を起こしたいのであれば大学院にいく前提で学部等も選択すべきですし、メディアや人材系やSNS系のアプリなど特別に高度なテクノロジーがなくともとにかく事業がしたいのであれば、東京とか海外にでも出て今すぐ起業するのがいいと思います。

それぞれの目的にあった選択を考えるべきです。

 

ただ、まだ若いうちに将来世の中の流れがどうなっているとか、自分がどうなっているかなんて、正直わからないと思います。
今の点と将来の点は繋げられません。
起業をするというのは、その事業ドメインの中でひたすら深さ優先探索をすることになります。
一方で将来に繋がりそうな点を増やすという意味では、幅優先探索をすべきです。
色々なことを勉強し、さまざまな経験をし、沢山の人に出会うからこそ出来る事業も増えると思いますし、人生においても最適かどうかを考えず立ち寄った場所、読んでみた本、出会った人があなたの人生にとってとても重要な点になるかもしれません。
早く起業すればするほど、早く何か1つにハマればハマるほど、人生において、普通の人が経験するようなことを全てスキップしてしまうことになります。なにも考えず友人と遊びにいくような時間も、その友人と過ごす時間でなにが得られるのかということを考えるようになります。すべて今やっていること対して最適かどうかで深さ優先探索をすることになります。それがあなたにとって幸せかどうかは自分で判断すべきことです。

長々と書いておいて申し訳ないですが、あなたの質問に対しての答えは「わからない」です。
それは自分で探すべき答えだと思っています。なぜなら、自分はどういう人生を歩み、その中で起業というのはどういう位置づけにしたいのか、それぞれの価値観の中で決めるべきことだからです。
なので僕が提供できるのは、1つの考え方です。
これを材料に自分で一生懸命考えて人の人生ではなく自分の人生を歩むことがあなたのためになると思います。

仮説検証と打席に立つべきとき

仮説検証が叫ばれすぎてイチローになってから打席に立つ症候群が増えている気がする。

もちろん仮説検証はめちゃくちゃ重要。

しかし、トライ・アンド・エラーなのにトライのないまま検証しようとする勘違いがあるように思う。

完璧に検証された仮説と計画を持って挑もうとしているような状態。

打席の外から、どの打席なら絶対にヒット/ホームランが出るかまで考えてしまって選択しきれない状態。

まさに「イチローになってから打席に立とうとする人」である。

 

仮にホームランを打てたときにソロホームランなのか満塁ホームランなのか。

ヒットやときに送りバンドでも点は入るのか。

相手はどういうタイプで相性が良いのか。

それだけわかれば立つべき打席が決まる。

あとのは打席に立つだけ。

それからじゃないとホームランが出るどうかはわからない。

 

打席に立ってからじゃないとイチローにはなれない。

 

追記

完全にこれですね。完璧に検証された仮説というのがそもそも言葉としておかしくて、仮説が極限まで解像度の上がったのなら、後はトライして検証すべきということでしょうね。

 

自由と幸福。あるいは不自由を知ることについて。

”自由である”という”認識”は不自由に盲目だということである。

しかし、自由であるということは不自由を知るということである。

選択肢を知り、どうなるかを知り、それらを決定することが自由である。

なにもないところに選択の余地はない。

自由とはなんらかのシステムの上で成り立つものである。

それはつまり同時にシステムに制約を受けることでもある。

人間が自由を謳歌するには舞台が必要である。

しかし、同時にその舞台に縛られる存在でもある。

 

自由というのは不自由を知ることである。

そういう意味で自由とは幸せの対極にあるのである。

 

自由意志、選択、合理化。

あらゆるものが計算可能化された世界の行き着く先は自由意志の計算可能化である。

自由意志とは、独立して人間が持つ機能でなく、何かのシステムに縛られ影響を受けた結果起こり得る1つの事象でしかないことが証明される。

自由が幻想だったことが白日の下に晒される。

自由とは足掻きである。

コントロール不可能な時間の流れをコントロールできるかのように、あらゆる影響から独立した"自分自身"が選択し未来をコントロールできるかのように、錯覚し足掻くことこそが自由。

近代化以後の自由意志と計算可能化の流れによって、あらゆるものから解放されようとした結果、人々の存在は社会の中の交点から世界という空虚に彷徨う点になる。

世界という空虚の中では自由というものはない。

そしてそれをまた社会の中で意味ある交点に引き戻すのは全てを計算可能化した存在=AIなのだと思う。

自由とはただの幻想であったと気がつく。

地元に帰って実感した人口減少と高齢化の話

新成人の皆さん、おめでとうございます。

個人的には派手にやっている人も含めて(死人けが人出ない範囲であれば)、楽しげでいていいなーと思います。

ただ、しつこいくらい言われていますが日本ではどんどん若者は減っていて逆に寿命が伸びて高齢者はどんどん増えているわけです。

日本全体のマクロな数字は各所で目にするので、僕もそれらを見てヤバイよな〜くらいには思っていましたが、先週北海道の実家に帰ってその状況の酷さを実感したので久しぶりのブログを書こうかと。

 

田舎の人口減少と高齢化率

僕の地元はまぁ結構な田舎なわけですよ。

僕が小学生くらいのとき人口が1.5万人くらいだったと思います。

今では1.4万とかだろうなと思ってましたが、なんと今では1.2万人www(笑えない)

15年くらいで2割程度減っているわけですよ…あぁ…

そして介護施設も増えてきていて、高齢化がどんどん進んでいます。

そもそも高齢者の定義ですが、65歳以上が高齢者とされています。

WHOの定義だと、高齢化率が7%を超えると”高齢化社会”、14%を超えると”高齢社会”、21%を超えると”超高齢社会”らしいです。

health.goo.ne.jp

ちなみに東京都で23%!東京都でも超高齢社会!!

f:id:khanada10:20170109183610p:plain

http://www.toukei.metro.tokyo.jp/koureisya/kr16rf0000.pdf

昔作られた定義なのでこんなに高齢化するとは思ってなかったんでしょうか。

 

そして地元の高齢化率ですがなんと36.8%!!!

えぇ…

しかも隣町の高齢化率は50%を超えているらしい…

あぁ…

半分が高齢者…

田舎だけにフォーカスしてみると人口減少や高齢化が自分が想像していた以上に進んでいて愕然としています。。。

日本全体の景気がいいとはいえない状況で、田舎を支えていける余裕があるわけがないし、いろいろ民営化したとしてもこんな人口動態では切り捨てるしかない地域が出てくると思います。

ちなみに2045年になると日本全体の高齢化率が38%になるそうです。

日本全体が自分の地元のような人口構成になると思うと絶望しかないですw

f:id:khanada10:20170109184615p:plain

http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/018_03_00.pdf

 

健康寿命の伸び

一方で思ったのは、なんか近所の人とか街で見る人がそんなジジババに見えないなとというところです。

65歳と聞くと凄い年寄りなイメージだったのですが、明石家さんまで61歳ですよ(例が悪いw)(よく考えたら自分の親ももう60になる…)

つまり65歳で高齢者ってそもそも時代にあってないなと思うわけです。

ここ15年で日本人の健康寿命が2年増えているわけで。

f:id:khanada10:20170109185222p:plain

http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/018_03_00.pdf

だからこそ小泉進次郎氏は「人生100年時代の社会保障へ」ということを言っているわけです。

ameblo.jp

60歳、65歳をすぎても働く仕組みがあってもいいのかなーと思います。

個人的な話になりますが、AI系の事業をやっているとAIが学習するためのデータを作る作業をクラウドソーシングするのですが、

そういうのって、海外のワーカーになげるよりも日本国内のワーカーのほうがコミュニケーションが取りやすかったりして費用対効果的には後者がいいんですよね。

在宅ワークで子育て中の女性の活用をとかいいますが、子育てに忙しい方にやってもらうより65超えても元気な方々にやってもらうほうがよかったりしないですかね(ジジババ向けクラウドソーシングサービスw)。

そもそも、保育園が足りないとか言ってるならそういう方々が手伝える仕組みを整備するとか。

まぁあまり結論らしい結論が自分の中でも出せていないのですが、もう日本オワコンだ!と言って出ていくよりもこういう状況でどう解決するか考えるのも面白いんじゃないかと思ってます(特に自動化効率化という意味でAIを活かせそうですし)

では。

 

Twitterやってます。

twitter.com

筋トレをすべきたった1つの理由

これ。

f:id:khanada10:20160929002119p:plain

その他にも、運動による抗うつ作用にさらに熟睡による抗うつ作用があったり、身体が引き締まることで自己肯定感が増したりと、細々理由はあるが、とにかく

「地面から重い物を持ち上げる程 楽しいことは無い」

これに尽きる。

www.youtube.com

Twitterやってます

twitter.com

思考のフレームワーク

思考のフレームワーク

f:id:khanada10:20160927211323j:plain


思考には人それぞれの“癖”という名のフレームワークがある。

思考の型と言い換えてもいいかもしれない。

フレームワークはそれぞれ微妙に形の違う世の中の事象を同じ型にはめ込むことで、本質的ではない細々とした要因を削ぎ落とし、抽象化することでより良く事象を解釈出来るようにする。

フレームワークは優れた洞察力を与え様々な事象をシンプルに捉えさせてくれる。そして、本質を見抜いたように感じられる。

人を納得させなければならないとき、フレームワークは役に立つ。

納得させるとは、つまりその相手にとって受け入れられる説明をするということなので、シンプルでわかりやすく本質的な説明を与えるフレームワークは役立つ。

 

フレームワークの危険性

ただこのフレームワークの危険性は、それが変わるだけで同じ事象が全く別の解釈になる可能性が大いにあるところである。

人はときにその型には全く合わない事象をも無理やりその型にはめ込んでしまう。

そして、最も憂慮すべきはフレームワークブラックスワンにさえそれらしい説明を与えてしまう。

ブラックスワンとは、事象が起きる前には予測し得ないインパクトの大きい事象である。この世界は複雑な系であり、バタフライ効果で例えられるように初期値鋭敏性がある。

しかし、人間は起きた事象を解釈することで受け取ることができる生き物なので、それらしい説明をしてしまう。そして、優秀なフレームワークブラックスワンにシンプルでわかりやすく本質的に見える説明を与えてしまう。

 

頭でっかち

頭でっかちになるというのは、あるフレームワークに囚われることなのかもしれない。

優れたフレームワークを手に入れることで様々な事象がシンプルに見え、ときには成功体験も与える。

そうすると、生存者バイアスから自分の中で(ときに無意識的に)そのフレームワークが万能だと錯覚する。

すでに起こった事象に対して、無理にその思考の型にはめ込んでいき説明した気になる。

未来の予測やアイディアに対しては、綺麗にハマらないものは起こりえない未来だと否定してしまう。

 

 

ネタがなかったのでふと考えた雑感でした。

Twitterやってますよ 

twitter.com

採用でのベクトルフィットの重要性

お金の使い方が雑になるとき

創業期のスタートアップってひたすら金がないわけなんですが。ただ、資金調達とか売上が経つとどうしても使い方が雑になるなぁと感じています。

ここで、一番気をつけたいのが採用での雑なお金の使い方だなと。やはりかかるコストも大きいですし、切りにくいコストという意味でも気をつけないといけないと。

すごく当たり前なことを書きますが、当事者になると失敗してしまうのが人間なので自分がそうならないように書き留めておこうかと。

 

お金が入ったときの採用

お金がドンっと入ると、会社としてもう1段階ステップアップするためによりビッグネームな人材を取ってこようとします。すると、給与は高めに設定されますし本当に必要な人材かを吟味せず採用することがあります。別にビッグネームを採用することが悪いわけではなく、うまく採用することが大事なわけです。

例えば、あの人は優秀な人材だ!と言うときはこういう感じです。

f:id:khanada10:20160705193137p:plain

これがスカラー的な見方だとすると、本当はベクトル的な見方が重要です。なぜかと言うと、いま会社が向いている(強化したい)ベクトルがあるわけで、会社のベクトルとその人のベクトルが近いかどうかは、採用において能力のスカラー値より圧倒的に重要だからです。

なぜかと言うと。

例えば、先ほどの優秀な人材で考えると、仮に会社とその人のベクトルが近かったとします。そうすると、会社と人のベクトルはこんな感じの関係に。 

f:id:khanada10:20160705194353p:plain

すると、会社にとってこの人の能力はこんな感じになります。

f:id:khanada10:20160705195114p:plain

逆に、この人材のベクトルが会社のベクトルと90度違うと下の図からわかるようにスカラー値が0に等しいわけです。

f:id:khanada10:20160705195352p:plain

 

優秀だけど危険な人材とビジョン

スカラー値的には優秀な人でもベクトルを間違うと危険なことがあります。

それは会社として向きたいベクトルが強固じゃないときに、異なるベクトルの人が入るとその人のベクトルに引っ張られて、足並みがばらつくということです。

それを防ぐためには、ビジョンを明確にしたり経営陣が同じベクトルをハッキリと向いている必要性があると思います。

会社のベクトルが強固であれば、少しベクトルの違うビッグネームを採用してもブレませんし、逆に会社のベクトルに引き寄せることでよりバリューを発揮する人材になるんじゃないかと思います。

 

人材の多様性

会社の人材は多様なほうがいいと言われますが、個人的にはスタートアップには向かないと思っています。

多様であればあるほど、コミュニケーションコストはめちゃくちゃかかります。例えば、コテコテのオタク的なエンジニアチームにキラキラビジネスマンが入ってくると、価値観やそこから発する言語感覚が違いすぎて理解しあうのに時間を要します。

スタートアップでは、一点突破でどれだけスタートダッシュを切れるかが重要だと思うので、そういう意味ではまずはベクトルフィット感を重視していくことが重要かなと。

しかし、多様性にも強さがあります。

例えば、生態系においては種の多様性が生態というシステムを強固にしています。これは何故かと言うと、生物というのは環境という"前提"の上で最適な行動を学習し進化・適応します。

しかし、環境の急に変化した場合"前提"が崩れるわけですから今まで進化・適応してきたものは通用しない可能性が十分にあるわけです。

しかし、生態系というのは種がお互いに相互作用しながら生きているので、多様な種がいることで生態系全体としてはシステムが保たれるわけです。

会社にとっても、市場の潮目が変わると今までの成功体験はすべて無意味になる可能性が高いわけです。そういう状況で会社が新しいベクトルを向いた時に、多様な人材を抱えていることで勢いを失わずに済むわけです。

 

と、まぁなんか普通のことでした。ではでは。

Twitter常駐しているので、よかったらフォローしてください。

twitter.com