就職と結婚に必要なマクロ的視点
ちょっと久しぶりの更新になります。
今回は前々から思っていた、就活や結婚に必要なマクロ的視点についての話です。
就活の話
皆さん、就活のときどうやって会社を決めましたか?またはどうやって決めますか?
NAVERまとめにこんなものがありました。
仕事をしていて楽しいかどうか
社会の役に立つかどうか
たくさんお金がもらえるかどうか
etc
どれも重要ですよね。でも、これらはその仕事や会社をミクロ的な視点でしか見てないんじゃないかと思うわけです。
結婚で言うと、顔と性格しか見てない状態です。
じゃあ、マクロ的視点ってなんだよってことなんですが。
その人の将来の収入(会社の収入)はどうなんだという話です!
本当は会社の決算書を読めて、ざっくりと今後どうなるかわかればいいんですけど、皆にそんなことはなかなか難しいです。
じゃあ何を見るべきか!
時価総額です。
ジカソウガク???って人もいるかもしれないですね。
簡単にいうと会社のその時の価値です。会社の1株の価格×株式数=時価総額です。
これを見ると、今まで大企業だと思ってた企業がそうでもなかったり、逆にそうでもないと思ってた企業がめちゃくちゃ規模がデカかったりします。
売上で見る人もいると思いますが、これは欠点があります。
例えば、売上1億を考えましょう。
ゴリゴリに営業(商材や人材系)で売り上げる1億と無料のアプリで広告収入だけで1億だと全く話が違います。前者は利益率も悪いしどこかで頭打ちが早いです。後者は、利益率がハンパないです。
っていうの考えるの面倒ですよね。なので、時価総額を見ればいいわけです。
そして、もう1つ重要なのは時価総額の伸びです。
せっかく時価総額の大きい企業に入れても、その後どんどん小さくなると意味が無いですよね。
ここ数年、会社の時価総額がどうなっているかを見るとなんとなく伸びるかどうかわかります。特に同じ市場の会社も一緒に見ると、市場の伸びもわかるので今後も伸びる余地が高いですね。
こんな感じで時価総額とその変化を見て、同じ市場の会社も見ると市場の動向もなんとなくわかるというわけです。
すでに時価総額が上がりきった会社は就職競争も激しいですが、これからの会社は比較的就職しやすいので、そういう会社を見極めて他の就活生の一歩先に行けるわけです!
結婚の話
続いて、結婚についてです。
結婚。皆さん悩みますよね。結婚となると、顔や性格だけではなく収入も重要ですよね。というより、圧倒的に収入が重視されますよね。
付き合う場合だと、
顔 >>> 性格 > 収入
みたいな人が多いと思うんですけど、結婚となると現実的になり
収入 >>>>>越えられない壁>>>>>> 顔 > 性格
みたいになることが多いと思います。
収入がないと結婚ができない。なので、いいところに就職しましょうってことで上述の話になるんですが。
一方で、お金持ちを捕まえたい側からすると、どうしたらいいのでしょうか。
医者、弁護士、外資系コンサルティング、経営者。どれもキラキラした職業です。
高収入の人が多いので、ぜひ結婚したいと思う人が多いかもしれませんが、この人達の結婚市場における時価総額はめちゃくちゃ高いので競争が激しいです。
じゃあ、どうしたらいいのか。
ここで、先ほどの時価総額の伸びメソッドを利用します!
そう。将来の収入の伸びを見ることで、今は収入が低いが将来的に稼ぐ人をゲットするというわけです。
じゃあ収入の伸びがある職業は何か。
ズバリ、起業家です!
起業家は創業して数年は比較的収入が少ないですが、その後の伸びはハンパないです。
「借金とかしないかな・・・?」と心配のあなた。
大丈夫です、近年は日本も起業家に優しい環境になり借金せずとも投資家から数千万くらいの投資を比較的簡単にしてもらえます。なので、潰れても借金はありません!
しかも、数年間そうやって働くと同期と比べて能力がめちゃくちゃ高くなるので、会社がダメになっても他の企業のいいポストについたりします。
成功すると、大きい会社に自分の会社を売ったり、上場したりと数億円以上の収入もあるわけです。
しかも、起業家はなかなかハードなお仕事なので、大変なときにパートナーが支えてくれるととても感謝されますし、向こうは頭が上がらなくなります。
なので、まだ結婚市場では価値の高くない起業家とつながっておくことで、お金持ちと結婚できる可能性が高くなるわけです!
「でも、起業家とかどこにいるの・・・?」
確かに意識高い系のイベントとかにはいますが、行くのが億劫だし、そもそも起業家とつながれるかもわからないし、起業家だとしても将来有望かわからないですよね。
手っ取り早く、将来有望そうな起業家とお友だちになれる場があれば、とても良いですよね。
そんな人におすすめのサービスがあります!
いきなり「スタートアップ起業家」デートです!
いきなりデートなら、会う前のワクワク感が良いですし、本人も起業家である五十君さんのフィルターがあり、会う前から相手がそれなりに将来有望な起業家なのが分かるので、ある程度安心して会えるのも良いところだと思います。
街コンやパーティーだと色んな人にたくさん会えるものの、なかなかじっくり話して相手を理解するところまではたどり着けないので、しっかり会話したいという人には良い出会いの形だと思います。
しかも、お食事デートなので嫌でも数時間で終わるので安心だと思います。
お値段も2千円とかなり良心的な設定となってるので、気軽に申し込めると思います。
そう考えると、とてもいいサービスなのではないでしょうか!
申し込むしかないですね!!!
最後に
なんで俺、人のサービスをステマしてんだ。暇かよ。
暇なのでTwitterしてます。良かったらフォローして下さい
イチローになってから打席に立とうとする人が多すぎる
いやー、イチロー。スゴいっすね。
なにかブログを書こうと思ったけど、これといったネタがない。
なので、エモい感じでイチローの話でもしてどっかの誰かが何かを始めるキッカケになれたらいいな、みたいなことを書こうと思う。
僕にとってのイチロー
小学生の頃の僕にとってイチローはまさにアイドルというかスターというか。いや、神みたいな存在だった。
世界で一番偉いのは、イチローかビル・ゲイツかコフィー・アナン(当時の国連事務総長)のどれかだと思っていた。
それくらい、僕の中では神だった。
結局、野球の才能のなさと環境があってなく野球が楽しくなくなってやめて(国連事務総長はなんの権力も持ってないことを悟り)、ビル・ゲイツ超えを誓って高専に行くことにしたわけだが。
しかし、その後も僕の中でイチローは人間的に学ぶべき人だった。
日々のルーティンの重要性や本番よりも準備の重要性などなど、大切なことはすべてイチローが教えてくれたと言っても過言じゃない(過言)
まぁ、延々とイチローの話をしてもいいけど、需要がなさそうなのでスタートアップと絡めた話をしたいと思う。
イチローになってから打席に立とうとする人が多すぎる
今回言いたいことはシンプルだ。この言葉に集約できる。
「イチローになってから打席に立とうとする人が多すぎる」
これ。マジでこれ。
このエントリーでも言及したけど、理系の院生が起業しない。本当に。
超頭よくて専門性もあって起業に興味もある人が、それを存分に活かせる手段を取ればいいのに色々言い訳をしてしまう。
むしろ、頭が良くて色々知っているからこそ、「あれが足りない」「これが足りない」と言い始めるのかもしれない。
打席に立ってからじゃないとイチローにはなれない。
もちろん準備は重要だが、打席に立つチャンスがあるのに立たない理由はない。
どんなに頭が良くてどんなに情報をインプットしても、やってみなきゃわからない。
バッターボックスの外からどんなに雄弁に分析できても、実際バッターボックスに入って見える風景は別世界だ。
バッターボックスに入って体験する「カーブってこんな曲がるの!?!?!?」という衝撃は、相手がどのタイミングでカーブを投げてくるかより圧倒的に重要な情報なのだ。
空振りしまくって、ボール球に手を出してしまって、三振して、そういう中で経験を詰んではじめてイチローになる可能性が出てくる。
技術力が足りない、創業メンバーがいない、メンターがいない、競合がいる、全部バッターボックスの外から言っててもかっこ悪いだけだ。ダサすぎる。
バッターボックスに立つチャンスがあるなら立てばいい。ストライクが来なくても死なないし、空振りしても死なない。むしろ、ボールの数だけストライクの可能性が高まるし、空振りの数だけヒットの可能性が高まる。
シーズンを通した戦いでは、打率を見られる。でも、面白いことに語られる記録は打率よりもヒット数だ。イチローは確かに打率もいいほうだが、語られるのはヒット数。人生においても打率の問題ではない。ヒット数だ。
今でも忘れない、第2回のワールド・ベースボール・クラシックの決勝。大会の中でのイチローの打席は褒められたようなものじゃなかった。
しかし、因縁の相手である韓国との決勝。同点で迎えた10回表。2アウトで1、3塁にランナー。ここで、イチローに打席が回り、2ストライクまで追い込まれたが粘って彼は2塁打を放ち、勝ち越し。見事優勝したのである。
みんなの記憶にあるのは、そこまでの空振りではなく決勝戦で優勝に導いたたった1本のヒットだ。
これも、彼の偉大な記録の1つにしか過ぎない。もし、ここで彼が三振していても彼の偉大さはちっとも霞まない。
それは、彼がひたすら打席に立ってバットを降っていることで生み出されるヒットがあるからだ。
イチローはいきなりメジャーを目指したわけじゃない(はず)
当時の本人に聞かないとわからないけど、彼はバットを持ったその日からメジャーリーグを目指したわけじゃないし4257本安打を目指したわけじゃない。
野球を楽しんでいるうちに、甲子園が見えて、プロ野球が見えて、メジャーリーグが見えて、そして4257本安打が見えてきたはず。
最初から、大きく具体的な目標がなくてもいい。いや、むしろそんなの最初からはない。
まず、小さくても見える目標を追いかけることだ。プログラミングでもデザインでもなんでもいい。自分の欲しいものや普段使っているサービスを真似て作って見るだけでもいい。最初は何かの真似事や劣化版的なことしか出来ない。そして、誰かに見せたり使ってもらう。小さな打席でも打席の外でふんぞり返ってるよりずっとマシだ。
開発力を上げるもっともいい方法は何かを目標物を決めて開発することだし、いいサービスを作る方法を学ぶのにもっともいいのはサービスを作ること。
そして、スタートアップを上手くやる方法を学ぶのにもっともいいのはスタートアップをすることだ。スタートアップにおける成功要因でもっとも重要なのは、開発力でもなく、知識量でもなく、賢さでもなく、スタートアップでの経験なのだ。
最後に
とにかく、打席に立とう。
空振りしてもかっこ悪くはない。
打席に立っている君の姿は君が思う以上にカッコいい。
Twitterやってます
結局、偏差値が高いと能力が高いのか
こんにちは、某京大卒VR起業家から「仮にVCやるとしたら偏差値40には投資しない」と言われた偏差値40くらいの起業家です。
まぁもちろん冗談半分で言ってきたわけですけども。実際、学歴気にする人はそこそこいるわけで、スタートアップ界隈でもなんだかんだ高学歴です。
「結局学歴かよ!!!」
って絶望する前に色々この辺の構造を考えてみようかなって記事です。
学歴と能力は相関するのか
そもそも学歴と能力って相関するのかどうかって重要な問題ですよね。
例えば、「社会は学歴主義から実力主義にシフトしているから実力が大事!」みたいなことよく聞きそうな主張ですけど、学歴コンプレックスを抱えた人たちにとっては学歴と能力が相関するなら学歴主義だろうが実力主義だろうが同じなので状況は変わらないわけです。
そもそも、能力とはなにかっていうのもあると思いますが、学力とは異なる仕事が出来るかどうかの能力という意味で話を進めていきます。
まぁ、結論から言ってしまうと相関しますよね、はい。(あくまで経験則ですが)
なんでそうなるか、個人的な分析をしたいと思います。
まず人間なので、能力の高さって人によって変わります。ざっくり3パターンにわけると下の図ような感じ(圧倒的に雑)。
んで、僕が思うに詰め込み教育の時代は、学校教育の中である程度勉強せざるを得ない状況だったのでボトムが高かったんですよ。
じゃあゆとり教育でどうなったかというと、エリート層というか勉強熱心な層は代わりに塾とか行きまくるので正直変わらないんですよ。でも一方で、勉強に熱心じゃない人も増えたわけで。なので、ゆとり教育である程度自由になって勉強への熱心さが個人とか家庭によって相対的にばらついたわけですよ。
つまり以下の様な感じです(再び雑)。ゆとり教育で「あまり勉強しない人」が増えたわけです。
んで、そもそも頭いい人はそうではない人に比べると、ある程度の勉強で偏差値が高くなりますよね。一方、能力が低い人はかなり勉強しないと偏差値が高くならない。
すると、能力分布を上記の2つの図に重ねあわせて偏差値の分布はこんな感じに。偏差値は相対的なものなので、勉強してる人が減るとおのずと勉強してる側に偏差値の高いグループが移っていきます。
上図から、詰め込み教育のときに比べるとゆとり教育世代の偏差値とそもそもの能力の相関がなくなっていることがわかると思います。
ただ、それでも偏差値が高いグループでは能力の高い人の割合が大きいですね。
なので、母集団から無作為にサンプリングしたときに偏差値を隠して能力が高い人を選んでも、偏差値が高い人が多くなるのは必然です。
まぁでも、相関は弱くなっているので偏差値50くらい(?)でも能力が高い人が結構いる世の中にはなってるわけですね。
学歴は必要なのか
じゃあ、学歴は必要なのかと。
会社の採用担当者側からすると、能力の高い人を見抜く定量的で簡単な方法がなかなかないので、能力とある程度相関のある偏差値の高い人を狙っていくことになります。
なので、高学歴の人たちに積極的にアプローチするわけです。
しかも、面接とかしても結局仕事出来そうかどうかはしてみないとわからない部分が大きいので、偏差値を1つの重要な指標にしててもおかしくないわけです。
例えば、東大生が受けてきたら能力が高い人である確率が高いので、他の指標でそこまで悪くなければ採用ってこともあると思いますし。
次に、学生側からすると、偏差値の高い大学に入ると周りの人は確率的にいって能力が高い人が多いわけです。なので、優秀な人材の人脈を作りやすい環境ではあります。
って言うのはマクロ的な話です。
古臭い企業は別として、あからさまな学歴フィルターはかけてこないし、優秀な人を集めると平均的に偏差値が高いだけで、低い人も全然います。その1人になればいいだけです。
人脈の話も、今どき大学生だろうと学校だけで人脈を完結してるやつがそもそもオワコンなんですよね。これだけ(いい意味での)意識の高い人達のための交流の場があるのに行かない時点でイケてないですよね。
エンジニア系の学生だと引き篭もったりしますけど、それでもエンジニアだけの勉強会とかは行くのでそこでつながり出来てますし。
上の偏差値分布の図からいって、能力が高い人の1/3くらいは偏差値が高くないんですよ。
しかも、自分で書いておいて言うのもなんですがこの分析でしきりに使う、「能力が高い人」というレトリックには隠れた前提があります。
それは、能力が高い人は生まれつき(または幼児期で)決まるものとしている前提です。しかし、仕事の能力なんてかなり20代の過ごし方でめちゃくちゃ変わりますよね。
スタートアップ界隈にいると、パッとしてなかった半年前に会った人がめちゃくちゃ成長してたりします。
結局は、自分が成長できるマインドを持っているかと、それが出来る環境に自分をおけるかです。その環境は、もう大学じゃないってことです。
大学の学部生活なんてクッッソ暇なので、そこで受動的に与えられたハードル(卒業単位とか)だけを越えていくのか、能動的に成長できる環境を見つけるかは偏差値なんて関係ないです。
三流大学をでてしまうと、こういう会社にはなかなか入れません。だから期せずして難を逃れることができる。
ところが一流大生の多くは、こういう一見“いい会社”を最初の職場として選ぶことができてしまう。
しかも時代の変化が見えてない親や先生が、熱心にそういう会社を勧めるため、素直な良い子はそれに従ってしまう可能性も高い。
このため、いわゆる一流大学を出ても 35才の時に“イケてるグループ”に入れる人の割合が、たいして高くはならないというわけ。
こういうこと考えて、死ぬほど勉強してまで入学する価値があるかどうかを考えたほうがいいですよね。もちろん、入れるのに拒否する必要はそんなにないと思いますし、研究したい場合はその道の1流がいるところで研究するのがいいと思います。
学歴コンプレックスはどこまで行けば解消されるのか
まぁそもそも学歴コンプレックス持ってる人の話をすると、どこの大学にもいるんですよね。東大でもです。慶應生とかでも冗談半分で「Fラン私立大学なので」とか言ったりするわけです。じゃあ俺はなんなんだよ(遠い目
こういう人は、東大に行こうとも東大の中での成績コンプレックスとかに悩むし、主席だったとしても違う世代とか海外大のエリートにコンプレックスを抱きますし。
学歴主義の価値観が内面化されて、そこから抜け出せないんでしょうか。
でも、他人が作ったその人にとって有利な土俵に上げられて必死にもがいているだけです。社会は想像以上に広いのでもっと外を見て、生きましょうよってことです。
偏差値高くない大学はいるメリットとしては、完全に僕の経験談から言うと単位は片手間で取れるので自分のやりたいことに集中できます。大学の授業なんて潜れるので、他大でも良い授業には潜ればいいし。あと、どこの大学でも専門性高い先生方はいるので自分が前のめりで行くと授業じゃ手に入らない学びがめちゃくちゃあります。(僕は自分の所属してる研究室とは別の研究室の先生にゼミしてもらったりして勉強になりました)
疲れたので終わり。
今日も今日とてTwitterやってます
起業を止めてくるおっさんを撃退する3つの方法
鼻くそほじりながらTwitterしてたら
「あ〜、起業して秒で億稼いでニートしてぇな〜」
って思った経験、誰にでもありますよね?
「よしっ!起業でもすっか」っていざ行動に移しても周りが止めてきたりします。
そんなときに一番邪魔になるのはおっさんです。
「起業は目的じゃなくて手段だよね???」
みたいな感じでドヤってくるおっさん、ウザいですよね。
そこで今回は、そんなときに役立つおっさん撃退法ベスト3を紹介します。
とにかく反論せず説教が終わるときを待つ
場を荒げるとおっさんはとにかく面倒くさいし加齢臭くさいので、場を荒げず終わるときを待つという方法です。
具体的には、以下の2つを繰り返し使って乗り切りましょう。
・とにかく同意する
場を荒げずかつ早く終わらせるためには相手をいかにして早く満足させるかが大事です。
「なるほどなるほど〜」
「なるほどですね!」
「あ〜なるほど、やっぱりそうですよね〜」
っていうフレーズを繰り返しとにかく相手が満足するのを待ちましょう。
・ひたすら謝る
同意するだけではなく、自分が間違ってました感も出すとよりいいでしょう
「仰るとおりです、すみませんでした。」
「申し訳ありません、反省してます。」
こういう感じの口先だけの謝罪を繰り返しましょう。
おっさんである現実を突きつける
それでも引き下がらないおっさんの場合は、色々ガタガタ言っている自分が老害のおっさんであることを自覚させてあげましょう。
具体的には、なにを言われても以下のフレーズで応戦します。
「でも、おっさんですよね?」
これです。ひたすらこれを繰り返すことで、「おっさん」に含まれるあらゆる負のメタファーがボディーブローのようにじわじわと効いてきます。
「お前が40年間社蓄して稼いだ金を秒で稼いでやるぜ、ふっひゃぁぁあああ」
というメタファーを含めて言うとなおいいです。
実力行使
最後にそれでも引き下がらない場合は実力行使をしましょう。
@hanaken_Nirvana とりあえず釘バット持参すればだいたいオッケーよ
— その他 (@pstlm) 2016年5月18日
おわりに
いかがでしたでしょうか?皆さん一度は経験する「鼻くそほじりながらTwitterしてたら起業したくなっておっさんに説教される」ときに役立つライフハックをご紹介しました。是非実践してみて感想をお聞かせ下さい!
※今回紹介した方法は自己責任で実践して下さい。
ふぅ、なんだこの記事。
鼻くそほじりながらTwitterやってます
マッチョイズム的競争社会
僕、こんな感じでときどきエモいブログ書いたりツイートしたりするんですけど。
— 花田賢人 (@hanaken_Nirvana) 2016年4月28日
こういうポエム的なのは、理性的に語るより感性に訴えるためにあえてポエム的に書いてます。でもここで言いたい本質はエモい優しさ的幸福論とかじゃなくて社会問題としての《諦めさせない社会》についてなんですよね。なので、これについてまじめに書いてみます。
マッチョイズム的競争社会
先に言っておくと、僕自身は家にいても本当にやることがないので基本的に仕事してる感じですし、スタートアップ界隈の人たちがそういうマッチョイズム的な感じでバリバリ働いて競争していることに異議を唱えたいわけではないです。むしろスタートアップで競争してバリバリ働くのは、当事者は大変ですが社会的意義は大きいと思ってます。これについては後ほど書きます。
このマッチョイズム的競争社会を簡単に言うと、「男は◯◯じゃなきゃいけない」みたいなやつです。男らしさってやつです。「男は強くなきゃいけない」「男は弱音を吐いてはいけない」「男は泣いてはいけない」「男は働いて稼いで家庭を支えなければいけない」例を上げればキリがない。
こういう◯◯でなければいけないという男性像を親や社会から押し付けられることで、本人もそうじゃなきゃいけないと錯覚して、より強く生きてより稼ぐことが男の価値だと信じて生きていくわけです。
つまりこれはジェンダー的問題です。
日本でも女性に対して、「女性は家庭に入って家事育児に励まなきゃいけない」「女性はおしとやかじゃなきゃいけない」「女性は男性をたてなきゃいけない」みたいなこと言うと、は?みたいな感じですよ。
女性らしさ幻想と一緒に男性らしさ幻想も捨てないと男性の家事育児への参加が期待できず、女性の社会進出も労働力不足を補うための経済政策としてしか機能せず、女性も働きアリになるだけです。選択肢として働ける社会なのか、働かざるおえない社会なのかって全然意味が違います。
しかし男性に対しては、「稼いでなんぼ」みたいに思ってる人が、若者でも男女問わず未だに少ないと思います。だからこそ、定年まで長時間労働して死ぬほど働いて辛くても弱音を吐かず我慢するみたいなことが普通にあるわけです。家庭で弱音を吐いたり、ましてや仕事辞めたいなんて言える夫婦関係気づけている人まだまだ少ないと思いますし。
それを証明するかのように、日本の男性の自殺者は女性の約2.5倍なんですよね。特に中高年層が高くて、他人に悩みを話すのはいけないと思っている人が有意に高いらしいんですよね。実際、悩みって解決するかよりも愚痴れるかどうかで気持ち変わります。自衛隊でも弱音を吐く人のほうが心が折れず訓練を続けられると言いますし。弱音を吐けないという脅迫観念に迫られてるんです。
「裕福じゃなきゃそんなこと言ってられない。だから男のほうが稼ぎやすいから夫に働いてもらわないと」なんて言うかもしれないけど、それは経済問題であってこういうマッチョイズムが肯定される理由ではないんです。
長時間労働でしか回らない社会は回っているのか
日本は良い成果を効率的に出すよりも苦労して沢山働くことが評価されます。しかも、みんながみんな必死で働いてるのが評価される。逆に定時で帰って家庭の時間を大切にする人は評価されるとは限りません。1人当たりのGDPを更に総労働時間で割ると相当日本って低そうですよね。でもそれで経済回ってんだ!とかいう人いるかもしれないですけど、そんなみんながギチギチに働いて先進国の中でも特に高い自殺率の社会って本当に回ってるんですかね。
マッチョイズムで沢山働くことが評価されて、どんどん競争を煽って消耗していくわけです。週30時間働いて家庭を大事にしてますって素晴らしいじゃないですか。でも、生産性の低い日本の労働環境では難しい。
競争自体が悪いわけじゃないんです。なんのために競争してるのかってことです。スタートアップなら社会を変えたいと思って必死にやるわけですけど、多くのサラリーマンはそんなに競争する必要はないです。その競争に自己超越的な目的がないんです。《空っぽの競争》です。家計を支えられればいいわけで、定年まで必死に長時間労働しないと家計が支えられないっておかしくないですか?他の先進国では、もっと効率的に働いて家計を支えていますよね。
職場以外の人間関係が薄い社会
団塊世代付近が続々定年退職してるわけですけども、奥さんと話すことなくて辛いとかどうやって過ごせばいいかわからなくて辛いとか結構あるらしいんです。
若者からしたら、異常な状態ですよ。でも働き出すと、ワーク・ライフ・バランスなんてものはなく。退職後の毎日を充実に過ごせるほどの趣味も人間関係も職場以外にないんです。職場のOB会ってめちゃくちゃ盛り上がるらしく、でも最近は少なくなってきてるみたいだし。
《諦めさせない社会》
日本は《諦めさせない社会》です。やっぱ稼いで出世するのが勝ちみたいなのがまだ根強くて、俺はそこそこの稼ぎでそこそこの家庭でっていう諦めがあまり評価されにくいです。でも「人生ってこんなもんだろ」とか「社会ってこんなもんだろ」みたいな諦め的な達観って穏やかに幸せに生きるのには重要です。
今の若者はさとり世代なんて呼ばれてますけど、将来への不安は高いのに幸福だと感じている人は多いんです。古市憲寿氏の「希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想」で紹介されてるように、高い志持って色々将来に期待してる人もピースボートのって友だち出来て、共同体の中に埋め込まれると《諦め的達観》が出て欲求レベルが下がって幸せに生きていくわけです。
ワーク・ライフ・バランスって言うと薄っぺらく聞こえますけど、ライフを充実させるために家族や友人との時間を増やすわけですけど。そのためには必然的にワークをより効率的で生産性の高いものにせざるを得ないわけです。
だからこそ、家庭やプライベートを大事にしながらある程度稼ぐ(男女問わず)っていうの”も”評価される社会になると必然的に生産性は高くなるわけです。そういう意味で《諦め的達観》が評価される社会になるというのは、エモい優しさ的幸福論ではなくて自殺者対策の問題であり、団塊世代の退職後の問題であり、経済設計の問題であり、社会設計の問題だと思ってます。
僕たちはどういう人生を生きたいのか、どういう社会を生きたいのか。じゃあそのためにどういう社会を設計すべきか。そういうことを意識すると《空っぽの競争》に消耗せず回る社会が形成されるんじゃないかなと。
久しぶりに大きく体調崩して意識が朦朧とするなか書いたブログですが、読んでくれた人ありがとうございました。
グッバイ、デモクラシー - トランプとFacebookと普通の民主主義の話
いやー、ピーターティールまでトランプ支持らしく、なんというか。面白いですね(白目)
こんなツイート見つけたので無理やりFacebookと絡めて書きますね。
※以下の文章は高専情報系卒という15歳から工学系の23歳男性が書いたものなので大いに間違った知識が含まれていると思いますので、あしからず。
普通の民主主義の話
トランプ躍進の背景を理解するには、まず民主主義について説明する必要があると思うのでそこから書きますね。
まず民主主義っていうのは秀才でもバカでも関係なく、被支配集団を平等化しそこから支配者を直接的あるいは間接的に選ぶっていう仕組みなんですけども。
ここで、支配層っていうのは政治家と官僚がいます。政治家は政策に対して責任をもって決定し遂行し、選挙権を持つ被支配者からその妥当性の審判を受ける。一方、官僚は統治機構の専業的仕事を担当するわけですが、官僚はその事項に対して自分の思想信条に関係なくただひたすら機械にようにこなすが責任は一切追わない。政治家は被支配者からの審判を受け、官僚は政治家からの審判を受ける、これで民主主義が回るってことなんですよ。これが政治家と官僚の関係なんです。
しかし、そもそも問題点があって。ここで専業化が進んだ統治行為の妥当性の評価が難しくなってくるんですよ。政治家と官僚は、官僚の専門的業務の妥当性を評価するのにバチバチとやり合わなければならないし、それを評価する民衆の後押しも必要。
まぁだから民衆の賢さに左右されるわけですよね。でも、バカでも秀才でも同じように参加できるのが民主主義なので、バカが多いとヤバいんですよ。
これは、すでにフランスで市民革命が起こったときに出てきた問題なんですけど。革命によって地位の平等化がはかられたわけですが、それまであった教会・ギルド・村落共同体etcによる《旧中間集団》が崩壊し社会の中で徹底的な個人の《原子化》が進んだわけです。そうすると何が起こったかというと、《多数者の専制》というものが出てきたわけです。
これは、トクヴィルっていう人が言ったことなんですけど。何かというと、それまでエリートがやっていた政治を民衆がやるわけなので、最大多数の人たちの声が優先されるわけです。しかも、原子化された社会では理性的な賢い声よりも、感情的で耳心地の良い声にみんななびきます。賢い意見は、感情的意見の圧倒的多数によって排斥されるわけです。
しかし、アメリカでは《近代的アソシエーション》という住民自治を行う集団を形成することで、そこでのコミュニケーションを通して賢い意見を聞き感情的な噴き上がりを抑制してきたわけです。テレビでタレントとかが自分と違うこと言ってても聞く耳持たないけど、友だちが言ってると理性的に聞き入れたりしますよね。そういう感じです。
トランプ躍進の個人的な解釈
じゃあアメリカで何がどうなってトランプなんかが出てきたかというと、まさに《多数者の専制》なんですよ。インターネットの浸透で、同じ地域や同じ世代でも受け取る情報が全然違うんで価値観が変わってくるし、発展途上国の台頭と低賃金労働をする移民によって中間層が経済的に衰退していってるわけですよ。そうすると、鬱憤が溜まり噴き上がりやすくなるし共同体(中間集団)が崩れ始める。そうして、再び個人の《原子化》が進み一層噴き上がりやすくなる。これを宮台真司は《感情の劣化》と呼んでいるのですが、本当に言い得て妙です。個人的な解釈が入りますが、インターネットで知識や情報は手に入りやすくなり知識量から言えば増えているはずで。しかし、僕は「インターネットは晒されすぎて見えすぎている」と思っています。まさに原子化が進みグローバリゼーションという波が個人に押し寄せ、一方で成功してる人たちが必要以上に目に入り妬み嫉みが溜まっていく。そうすると、過激で感情的な意見に社会はなびき、いくらエリート層が冷静に理性的な意見を述べようと《多数者の専制》によって排斥されるわけです。この話題に限れば、ブッシュ、パパブッシュ、ロムニー、マケイン、ポールライアンが党大会で指名しないと言ってるわけですけど、これでトランプじゃない人を共和党が指名しちゃうとエリートによる専制なんですよね。民主主義じゃないんです。
Facebookがトランプを潰そうとするのは妥当という話
これ要約すると、Facebookが意図的にトランプ関連の投稿を削除し悪い情報ばかり流しても合衆国憲法修正第1条によって表現の自由が保証されているので問題ないということなんです。
結構人力で表示順位を変えたりしてるという話もあるので、やろうと思えば出来るんですよね。。。
一つの法人の方針次第で、大統領まで変わるわけです。
もう一つ前に話題になった、iPhoneアンロック問題。
「絶対に政府に手を貸してiPhoneのロック解除をしたくないApple VS 絶対にテロリストのiPhoneのロックを解除して証拠を掴みたいFBI」
っていう構図だったんですけど。Appleが拒み続けるのは正当な理由があって、政府が権力を行使したらAppleはiPhoneのロックを解除するなんて広まれば買わない人が出てきますよね。これを強制するのは、表現の自由(ロックは本人にしか解除できないという指針)の侵害だという見方もあり、民主主義の原則から行って当たり前なんです。
そもそも、民主主義のもう1つ大事なものとして憲法があるんですが。自由主義的近代憲法の考え方は、「権力(政府)は放っておくと暴走するから、憲法によってその権力を制限する」というものです。
法律は国民に向けて書かれるものですが、憲法は政府(統治権力)に向けて書かれるものです。これには、どんな凶悪な犯罪者よりも権力(特に暴力装置)を持つ政府が起こしうる暴走が社会にとっては危険という前提があります(だからこそ合衆国憲法では修正第2条でミリシアの権利=武装権が保証されている)
しかし、アメリカではiPhoneアンロック問題に関してAppleはアンロックに応じるべきという声がかなり多いわけです。常に政府に監視の目を向けるアメリカ社会においては驚くような現象です。これは、テロリストという個人/組織が政府と同じまたはそれ以上にアメリカ社会にとって脅威だと民衆が判断していることの現れです。
グッバイ、デモクラシー
ということで。中間集団の崩壊で《多数者の専制》という現象が起こって意思決定はめちゃくちゃだし、政府という権力は法人やテロ組織に脅かされるしで、民主主義はもうボロボロなわけですよ。そもそも、政府が圧倒的な権力を持ちかつ中間集団がいるという前提の上でしか成り立たないシステムなんですよね。民主主義が資本主義に飲み込まれようとしているんですかね。これからどうなっていくんですかね。
理系院生が全然起業しない日本の現実
こんにちは。
Fラン私立大学学部卒です。
僕、(一応)起業家なんですけども。スタートアップ界隈にいるとまぁみんな高学歴なんですけど、本当に理系(特に院生)で起業してる人が少ないんですよね。僕、大学は編入でその前は高専だったんですけど、高専OBの起業家なんてまぁ少ない。
理系院生とかすげぇ高度人材なのに、年収400万とかで大企業に買い叩かれるわけですよ。博士課程残ったらその間はもっと少ないわけで。その後、就職しても大企業で決められた仕事させられて才能を持て余すという。。。
会社に就職するのは学校に入るような感覚
これ誰が言ったか公表していいのかわからないので名前は伏せますが、どういう意味かというと。会社に入るとやることはだいたい決まってるんですよ。1年目これ、2年目はこれ、みたいな。しかも飛び級は出来ない。1年生のときに3年生のことやると怒られるんですよ。まさに日本の学校教育と同じですよね。
でも今の時代、起業して1人で生きていくための稼ぎなんて結構簡単に稼げるし、数百万〜数千万の調達なんて普通に出来る。覚悟決めて4,5年やれば、年収1000万とか余裕で行くわけですよ(もっと早いかも)。
なんといっても才能はフル活用できるし、飛び級しまくり。バイアウト出来ればサラリーマンが一生かけて稼ぐ金額の数倍〜数十倍が転がり込む。例え失敗しても、そのとき既に普通に働いてる同期とは比べ物にならない成長度合いです、間違いなく。
才能をフル活用した数年と持て余した数年って本当に違います。
今の時代、ファーストキャリアは商社行くよりマッキンゼー行くよりどこ行くよりも起業が一番いいんです。本当に。
成功出来るのは一握りの天才か
これだけ言っても「そんなの成功するのは一握りの天才」と言う人、本当に多いけどそんなことない。
シリコンバレーに目を向ければ、Googleの創業者のセルゲイ・ブリンもラリー・ペイジもスタンフォードの博士課程在籍時に起業してるし、そもそも研究者でもバンバン起業しますよね、向こうは。
確かにGoogleやFacebookレベルの会社を作れる人は、本当に一握り。
でも別にサービス作るコストなんて全然高くないんだから、数億でバイアウト出来ればラッキーくらいでもいいと思うし、エンジニアで2,3人の会社なら、資金調達しないで少人数でやってれば月間数百万くらいの売上で結構ウハウハじゃないですか。
まぁ僕はそれじゃ満足できないのでもっとずっと上を目指すわけですけど、起業する人が増えればそういう人も増えると思うんですよね。
研究者として優秀な人は起業家として優秀か
よく言われるのが
「研究者として優秀な人が起業家/経営者/ビジネスマンとして優秀とは限らない」
ってやつ。なぜ理系院生が起業しないのかって言うの問うとアカデミア側からもビジネス側からもよく聞くやつです。
でも、全然理由になってないんですよ。
起業家として優秀とは限らないかもしれないけど、起業家として優秀じゃないわけでもないですよね。研究していない人も起業家として優秀とは限らないのと同じじゃないですか。むしろ普通の人より、研究で優秀なら起業家としてもいくらか優秀な可能性高いように思うんですよ。
サイエンス系でもエンジニアリング系でも、文系の学生よりは相対的に手に職があるというか、プロダクト開発に親和性があると思うんですよね。起業しやすいはずなんですよ。
エンジニアリング系ならなおさらなんですけど、まぁエンジニア起業家ってまだ少ないですよね。起業しやすいならエンジニア社長のほうが多いはずなのに。
じゃあなぜ少ないかって言うと、「研究者として優秀な人が起業家/経営者/ビジネスマンとして優秀とは限らない」じゃなくて「研究者として優秀な人が起業家/経営者/ビジネスマンとして優秀じゃない」という思い込みがあるんですよ。特にビジネス側に。
どうすれば起業するのか
恐らく、一番の原因は産学連携の少なさというか、研究者がアカデミア側からヘッドハントされてビジネス側に行くってことが少ないせいですよね。
この記事とか面白くて。
実業界に引き抜かれた教授はその後、お金の心配をしなくても良くなります。ただその一方で、(学界に残った)教授は、子どもを大学に生かせるための資金繰りに苦労している。おかしなことですが、これが現実です。実業界に移るというのはとても魅力的なことなのです。そのため、私を含めた学長たちは、彼らが数年間スタートアップを設立したり、大企業に勤めたりすることを推奨し始めています。そして学界に戻ってきてもらうのです。
人材流出という問題を軽視しているわけではありません。何千万ドルにも値する人材をつなぎとめておく方法を考えることで、私の抜け毛も進行してしまいます。ただ、教授たちが持つ世界クラスの能力によって、望むのであれば起業することもできるという事実に、私たちは誇りを感じています
どんどんアカデミア側から引き抜かれるし、その中で起業する人もいる。でもその後に戻ってじっくり研究する人もいるわけで。むしろ一度、企業にヘッドハントされるのがステータスになってるんですよね。こういう状況もっと日本でも作らないとなーと思うわけですよ。
ここで、敵とかめっちゃ作りそうですがあえていいますけど、マジでスタートアップのエンジニアなんて(笑)を何個付けても足りないくらいの技術力が多いですし(僕を含め)、起業してる人たちもバカとアホばっかり(僕を含め)なので、マジで研究室に引き篭もってる天才たちに殴りこんできて欲しいです。
以上、最後まで読んでくれた人。あざした。
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