ツイッタラーの弁明

Liaroの窓際戸締役です。特にソクラテスは好きではありません。

グッバイ、デモクラシー - トランプとFacebookと普通の民主主義の話

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いやー、ピーターティールまでトランプ支持らしく、なんというか。面白いですね(白目)

こんなツイート見つけたので無理やりFacebookと絡めて書きますね。

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※以下の文章は高専情報系卒という15歳から工学系の23歳男性が書いたものなので大いに間違った知識が含まれていると思いますので、あしからず。

 

普通の民主主義の話

トランプ躍進の背景を理解するには、まず民主主義について説明する必要があると思うのでそこから書きますね。

まず民主主義っていうのは秀才でもバカでも関係なく、被支配集団を平等化しそこから支配者を直接的あるいは間接的に選ぶっていう仕組みなんですけども。

ここで、支配層っていうのは政治家と官僚がいます。政治家は政策に対して責任をもって決定し遂行し、選挙権を持つ被支配者からその妥当性の審判を受ける。一方、官僚は統治機構の専業的仕事を担当するわけですが、官僚はその事項に対して自分の思想信条に関係なくただひたすら機械にようにこなすが責任は一切追わない。政治家は被支配者からの審判を受け、官僚は政治家からの審判を受ける、これで民主主義が回るってことなんですよ。これが政治家と官僚の関係なんです。

しかし、そもそも問題点があって。ここで専業化が進んだ統治行為の妥当性の評価が難しくなってくるんですよ。政治家と官僚は、官僚の専門的業務の妥当性を評価するのにバチバチとやり合わなければならないし、それを評価する民衆の後押しも必要。

まぁだから民衆の賢さに左右されるわけですよね。でも、バカでも秀才でも同じように参加できるのが民主主義なので、バカが多いとヤバいんですよ。

これは、すでにフランスで市民革命が起こったときに出てきた問題なんですけど。革命によって地位の平等化がはかられたわけですが、それまであった教会・ギルド・村落共同体etcによる《旧中間集団》が崩壊し社会の中で徹底的な個人の《原子化》が進んだわけです。そうすると何が起こったかというと、《多数者の専制》というものが出てきたわけです。

これは、トクヴィルっていう人が言ったことなんですけど。何かというと、それまでエリートがやっていた政治を民衆がやるわけなので、最大多数の人たちの声が優先されるわけです。しかも、原子化された社会では理性的な賢い声よりも、感情的で耳心地の良い声にみんななびきます。賢い意見は、感情的意見の圧倒的多数によって排斥されるわけです。

しかし、アメリカでは《近代的アソシエーション》という住民自治を行う集団を形成することで、そこでのコミュニケーションを通して賢い意見を聞き感情的な噴き上がりを抑制してきたわけです。テレビでタレントとかが自分と違うこと言ってても聞く耳持たないけど、友だちが言ってると理性的に聞き入れたりしますよね。そういう感じです。

 

トランプ躍進の個人的な解釈

じゃあアメリカで何がどうなってトランプなんかが出てきたかというと、まさに《多数者の専制》なんですよ。インターネットの浸透で、同じ地域や同じ世代でも受け取る情報が全然違うんで価値観が変わってくるし、発展途上国の台頭と低賃金労働をする移民によって中間層が経済的に衰退していってるわけですよ。そうすると、鬱憤が溜まり噴き上がりやすくなるし共同体(中間集団)が崩れ始める。そうして、再び個人の《原子化》が進み一層噴き上がりやすくなる。これを宮台真司は《感情の劣化》と呼んでいるのですが、本当に言い得て妙です。個人的な解釈が入りますが、インターネットで知識や情報は手に入りやすくなり知識量から言えば増えているはずで。しかし、僕は「インターネットは晒されすぎて見えすぎている」と思っています。まさに原子化が進みグローバリゼーションという波が個人に押し寄せ、一方で成功してる人たちが必要以上に目に入り妬み嫉みが溜まっていく。そうすると、過激で感情的な意見に社会はなびき、いくらエリート層が冷静に理性的な意見を述べようと《多数者の専制》によって排斥されるわけです。この話題に限れば、ブッシュ、パパブッシュ、ロムニー、マケイン、ポールライアンが党大会で指名しないと言ってるわけですけど、これでトランプじゃない人を共和党が指名しちゃうとエリートによる専制なんですよね。民主主義じゃないんです。

www.huffingtonpost.jp

 

Facebookがトランプを潰そうとするのは妥当という話

www.gizmodo.jp

これ要約すると、Facebookが意図的にトランプ関連の投稿を削除し悪い情報ばかり流しても合衆国憲法修正第1条によって表現の自由が保証されているので問題ないということなんです。

結構人力で表示順位を変えたりしてるという話もあるので、やろうと思えば出来るんですよね。。。

一つの法人の方針次第で、大統領まで変わるわけです。

www.gizmodo.jp

もう一つ前に話題になった、iPhoneアンロック問題。

「絶対に政府に手を貸してiPhoneのロック解除をしたくないApple VS 絶対にテロリストのiPhoneのロックを解除して証拠を掴みたいFBI」

っていう構図だったんですけど。Appleが拒み続けるのは正当な理由があって、政府が権力を行使したらAppleiPhoneのロックを解除するなんて広まれば買わない人が出てきますよね。これを強制するのは、表現の自由(ロックは本人にしか解除できないという指針)の侵害だという見方もあり、民主主義の原則から行って当たり前なんです。

そもそも、民主主義のもう1つ大事なものとして憲法があるんですが。自由主義的近代憲法の考え方は、「権力(政府)は放っておくと暴走するから、憲法によってその権力を制限する」というものです。

法律は国民に向けて書かれるものですが、憲法は政府(統治権力)に向けて書かれるものです。これには、どんな凶悪な犯罪者よりも権力(特に暴力装置)を持つ政府が起こしうる暴走が社会にとっては危険という前提があります(だからこそ合衆国憲法では修正第2条でミリシアの権利=武装権が保証されている)

しかし、アメリカではiPhoneアンロック問題に関してAppleはアンロックに応じるべきという声がかなり多いわけです。常に政府に監視の目を向けるアメリカ社会においては驚くような現象です。これは、テロリストという個人/組織が政府と同じまたはそれ以上にアメリカ社会にとって脅威だと民衆が判断していることの現れです。

 

グッバイ、デモクラシー

ということで。中間集団の崩壊で《多数者の専制》という現象が起こって意思決定はめちゃくちゃだし、政府という権力は法人やテロ組織に脅かされるしで、民主主義はもうボロボロなわけですよ。そもそも、政府が圧倒的な権力を持ちかつ中間集団がいるという前提の上でしか成り立たないシステムなんですよね。民主主義が資本主義に飲み込まれようとしているんですかね。これからどうなっていくんですかね。

Twitterやってます https://twitter.com/hanaken_nirvana