結局、偏差値が高いと能力が高いのか
こんにちは、某京大卒VR起業家から「仮にVCやるとしたら偏差値40には投資しない」と言われた偏差値40くらいの起業家です。
まぁもちろん冗談半分で言ってきたわけですけども。実際、学歴気にする人はそこそこいるわけで、スタートアップ界隈でもなんだかんだ高学歴です。
「結局学歴かよ!!!」
って絶望する前に色々この辺の構造を考えてみようかなって記事です。
学歴と能力は相関するのか
そもそも学歴と能力って相関するのかどうかって重要な問題ですよね。
例えば、「社会は学歴主義から実力主義にシフトしているから実力が大事!」みたいなことよく聞きそうな主張ですけど、学歴コンプレックスを抱えた人たちにとっては学歴と能力が相関するなら学歴主義だろうが実力主義だろうが同じなので状況は変わらないわけです。
そもそも、能力とはなにかっていうのもあると思いますが、学力とは異なる仕事が出来るかどうかの能力という意味で話を進めていきます。
まぁ、結論から言ってしまうと相関しますよね、はい。(あくまで経験則ですが)
なんでそうなるか、個人的な分析をしたいと思います。
まず人間なので、能力の高さって人によって変わります。ざっくり3パターンにわけると下の図ような感じ(圧倒的に雑)。
んで、僕が思うに詰め込み教育の時代は、学校教育の中である程度勉強せざるを得ない状況だったのでボトムが高かったんですよ。
じゃあゆとり教育でどうなったかというと、エリート層というか勉強熱心な層は代わりに塾とか行きまくるので正直変わらないんですよ。でも一方で、勉強に熱心じゃない人も増えたわけで。なので、ゆとり教育である程度自由になって勉強への熱心さが個人とか家庭によって相対的にばらついたわけですよ。
つまり以下の様な感じです(再び雑)。ゆとり教育で「あまり勉強しない人」が増えたわけです。
んで、そもそも頭いい人はそうではない人に比べると、ある程度の勉強で偏差値が高くなりますよね。一方、能力が低い人はかなり勉強しないと偏差値が高くならない。
すると、能力分布を上記の2つの図に重ねあわせて偏差値の分布はこんな感じに。偏差値は相対的なものなので、勉強してる人が減るとおのずと勉強してる側に偏差値の高いグループが移っていきます。
上図から、詰め込み教育のときに比べるとゆとり教育世代の偏差値とそもそもの能力の相関がなくなっていることがわかると思います。
ただ、それでも偏差値が高いグループでは能力の高い人の割合が大きいですね。
なので、母集団から無作為にサンプリングしたときに偏差値を隠して能力が高い人を選んでも、偏差値が高い人が多くなるのは必然です。
まぁでも、相関は弱くなっているので偏差値50くらい(?)でも能力が高い人が結構いる世の中にはなってるわけですね。
学歴は必要なのか
じゃあ、学歴は必要なのかと。
会社の採用担当者側からすると、能力の高い人を見抜く定量的で簡単な方法がなかなかないので、能力とある程度相関のある偏差値の高い人を狙っていくことになります。
なので、高学歴の人たちに積極的にアプローチするわけです。
しかも、面接とかしても結局仕事出来そうかどうかはしてみないとわからない部分が大きいので、偏差値を1つの重要な指標にしててもおかしくないわけです。
例えば、東大生が受けてきたら能力が高い人である確率が高いので、他の指標でそこまで悪くなければ採用ってこともあると思いますし。
次に、学生側からすると、偏差値の高い大学に入ると周りの人は確率的にいって能力が高い人が多いわけです。なので、優秀な人材の人脈を作りやすい環境ではあります。
って言うのはマクロ的な話です。
古臭い企業は別として、あからさまな学歴フィルターはかけてこないし、優秀な人を集めると平均的に偏差値が高いだけで、低い人も全然います。その1人になればいいだけです。
人脈の話も、今どき大学生だろうと学校だけで人脈を完結してるやつがそもそもオワコンなんですよね。これだけ(いい意味での)意識の高い人達のための交流の場があるのに行かない時点でイケてないですよね。
エンジニア系の学生だと引き篭もったりしますけど、それでもエンジニアだけの勉強会とかは行くのでそこでつながり出来てますし。
上の偏差値分布の図からいって、能力が高い人の1/3くらいは偏差値が高くないんですよ。
しかも、自分で書いておいて言うのもなんですがこの分析でしきりに使う、「能力が高い人」というレトリックには隠れた前提があります。
それは、能力が高い人は生まれつき(または幼児期で)決まるものとしている前提です。しかし、仕事の能力なんてかなり20代の過ごし方でめちゃくちゃ変わりますよね。
スタートアップ界隈にいると、パッとしてなかった半年前に会った人がめちゃくちゃ成長してたりします。
結局は、自分が成長できるマインドを持っているかと、それが出来る環境に自分をおけるかです。その環境は、もう大学じゃないってことです。
大学の学部生活なんてクッッソ暇なので、そこで受動的に与えられたハードル(卒業単位とか)だけを越えていくのか、能動的に成長できる環境を見つけるかは偏差値なんて関係ないです。
三流大学をでてしまうと、こういう会社にはなかなか入れません。だから期せずして難を逃れることができる。
ところが一流大生の多くは、こういう一見“いい会社”を最初の職場として選ぶことができてしまう。
しかも時代の変化が見えてない親や先生が、熱心にそういう会社を勧めるため、素直な良い子はそれに従ってしまう可能性も高い。
このため、いわゆる一流大学を出ても 35才の時に“イケてるグループ”に入れる人の割合が、たいして高くはならないというわけ。
こういうこと考えて、死ぬほど勉強してまで入学する価値があるかどうかを考えたほうがいいですよね。もちろん、入れるのに拒否する必要はそんなにないと思いますし、研究したい場合はその道の1流がいるところで研究するのがいいと思います。
学歴コンプレックスはどこまで行けば解消されるのか
まぁそもそも学歴コンプレックス持ってる人の話をすると、どこの大学にもいるんですよね。東大でもです。慶應生とかでも冗談半分で「Fラン私立大学なので」とか言ったりするわけです。じゃあ俺はなんなんだよ(遠い目
こういう人は、東大に行こうとも東大の中での成績コンプレックスとかに悩むし、主席だったとしても違う世代とか海外大のエリートにコンプレックスを抱きますし。
学歴主義の価値観が内面化されて、そこから抜け出せないんでしょうか。
でも、他人が作ったその人にとって有利な土俵に上げられて必死にもがいているだけです。社会は想像以上に広いのでもっと外を見て、生きましょうよってことです。
偏差値高くない大学はいるメリットとしては、完全に僕の経験談から言うと単位は片手間で取れるので自分のやりたいことに集中できます。大学の授業なんて潜れるので、他大でも良い授業には潜ればいいし。あと、どこの大学でも専門性高い先生方はいるので自分が前のめりで行くと授業じゃ手に入らない学びがめちゃくちゃあります。(僕は自分の所属してる研究室とは別の研究室の先生にゼミしてもらったりして勉強になりました)
疲れたので終わり。
今日も今日とてTwitterやってます