ツイッタラーの弁明

Liaroの窓際戸締役です。特にソクラテスは好きではありません。

「普通の人でも回せる仕組み」を作るべきか否か

最近なにキッカケかわからないけど、

スタートアップにおいて「普通の人でも回せる仕組み」を作るべきかどうかの議論が散見されるなぁと。

「普通の人でも回せる仕組み」を最初から作る必要はない — How To Create Startup — Medium

けんすうさんキッカケなのかな?

 

そもそも「普通の人でも回せる仕組み」とは

これって要するに、バカでも機械的にやれば出来るように頭のいい僕らが言語化してマニュアルにしちゃおうぜってことだと思う(日本語が不自由なのはご了承)

多分最初にこういう話聞いたのは、ひろゆきさんが2ちゃんねるをやめた理由みたいなのを語ってた時だと思う。

「誰でも回せるような仕組みを作っていったら最終的に僕も要らなくなったんでやめました(白目」

みたいな。

じゃあそれって必要なのか

とりあえずスタートアップ以外ではどうなのかと言うと。

2ちゃんねるには必要だったんだと思う。っていうよりその方がいいから。

あれは書き込む人たちに自由にやらせておけばよくて、管理者側は落ちないように運用保守しておけばいいわけ。

クリエイティブな部分は全くないらなくてマニュアル化最高って感じ。

あと社員がバカみたいにいる大企業には部分的にでも絶対その仕組みないと管理しきれないとは思う。

全体がそうなると優秀な人が能力が発揮できず死んでいくので大企業病的なものにつながる気がするけど。

普通の人でも回せるような仕組みってそのルールの中でしか動けないわけだし、あるタスクに関しては誰が優秀かはそのタスクごとで変わるわけで、トップがすべて決めるっやるとそいつがある意味ボトルネックになる。

つまり全員の能力を最大限活かすには、トップがチーム全員の能力をあらゆる面で凌駕していなきゃいけないわけで全知全能じゃないといけない。

なんだそれ、神か。

ってなるわけ。

 現実的には「普通の人でも回せる仕組み」を作ると、どんなに頑張ってもそこに関わる人たちの最大公約数的な力しか発揮できないんじゃないかと思う。

人が少ない、能力もそこそこな、みたいなことが多いスタートアップでこんなんになったらオワコンだなーとは思う。 

 

逆にある程度人数がいる組織なのに仕組み化しなくても回せてる会社ってないのかなと考えると1つだけ浮かんで。

某チー◯◯ボかなと。

学生の頃に1年ほどエンジニアとしてバイトさせてもらったけど、すごく有機的な組織だなと感じた。

大まかな緩めのルールとかはある。

ただ緩い

有機的な繋がり中の相互干渉と自己組織化的動きをを大切にしていて、それが某ラボのクリエイティビティを生んでいるのかなとは個人的に考えている。

世の中に存在する複雑なネットワーク構造を持つものは基本的にはこういう構造で。

 複雑ネットワークっていわれてる分野の知見ですけども、少しのルールだけでも個々が自律的に動き相互干渉するような勝手に有機的な繋がりの中で”創発”し、何かを生み出し、その局所的な創発がネットワーク全体にも影響を与える。それがまた全体の緩いルールになっていき、その流れが動的組織化を促しシステムは回っていくもので。

社会ネットワークもそうだし、人間1個体もある意味で複雑なネットワークで遺伝子に全部細かなルールが書かれてるわけでも脳みそが全部指令してるわけでもなく、有機的なネットワークの中で構成要素が相互干渉により創発して人間というシステムを動かしてるんですね。

うん、すごい。 

そういうネットワークには構成要素の変化によって”相転移”も勝手に起こる。そして勝手に最適化されていくわけで人数とか規模とか究極的には関係ないのかなって。そういう組織作っていきたいなぁーと思う今日この頃です。

 

文化祭の前日みたいな感じ

某チー◯◯ボのどこが良いかって話で、「文化祭の前日みたいな感じ」って言ってる人がいて、あぁなるほどまさにそれだなって思った。

この「文化祭の前日みたいな感じ」がスタートアップ特有のもので、これがなくなった瞬間あの大企業病が襲ってくるし、組織が無機質になるのかなと。

有機的なネットワークを大切にするような文化を作れば、むしろ某ラボみたいに3,400人規模とかになってもみんなが緩いルールの中でわちゃわちゃして組織は回る、「文化祭の前日みたいな感じ」が保てるんじゃないのかなって最近は思ってます。

 

結論

結局なにが結論かというと、確かに仕組み化は属人化を防ぐには良いけど、やっぱりスタートアップって「文化祭の前日みたいな感じ終わらない文化祭の前日みたいな感じ」大事にしていきたい。

終わり。